さて昨日の続きを書こう。
今日は土曜、仕事の電話も掛かってこない静かな午前中(先程まで子供を連れて行ってた小児科医院が、ちゃんと携帯シールドされていただけかもしれないが)に、一昨日よりWeb上からコピー&ペーストでクリッピングしておいた関連新聞記事を読み返してみた。
すると、、、中には「SAJ会長職を辞任の意向」と、「積極的辞任説」を取っている新聞社もあったことに気付いた。まあ大多数は「消極的辞任説(辞任してくれと言われたら辞任する)」であったが。
まあそれはどちらでも良い。そして別に「辞任する、しない」が問題なのでもない。問題は「組織の体質」なのである。
それが良い方向に変わるかどうかにしか、私の関心はない。
堤氏は体育会出身の人、それもスキーやアイスホッケー、スケートなどの競技で優秀な結果を出した人が大好きであった。それは自社での側近を見れば歴然としている。
しかしながら私に、コクドや西武鉄道の人事に少しのコメントすら挟む資格はないと考えている。それは私企業(上場された株式会社は「公器」と見なす考え方が最近では一般的だが、当該グループ企業においてはその観念はなかったと断定できる。したがって私企業である)のオーナーの経営方針であり、他人が口を挟む余地は一切無い。
しかしながらSAJは文部科学省管轄下の公益法人である。その組織や運営に関して私がコメントをしても、問題は無かろう。
さて、ここでサブタイトルの説明を行おう。
この日記で書く上の説明要旨としては、「競技(基礎スキーも私は競技の一種だと考えている)出身者優遇主義であるがために、競技経歴が見劣りするか、もしくはその経歴を持っていない場合、SAJの要職に就くには『側近主義』に走りがちになってしまっていたのではないか?」という点である。多くのイエスマンの誕生であった。
そしてその人達は、イエスマンだけの役割を持っただけでなく、「次のステップ」を志向したと見える。
いわば組織内に「ミニ堤義明氏」が本部から都道府県組織に多数生まれ、その人達が「昔の堤氏判断事例」に倣って、いろんな判断を下し続けた結果が、現在のスキー、スノーボードのシーンにSAJがそぐわなくなってきた最大の理由であると、私は考えている。
時代は動いているのに、判断基準が「過去の模倣」では、取り残されても仕方がない。
_ というところで、また後日。